「醍醐味」とは?意味と語源、英語表現・類義語【使い方の例文】

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私が思う焼肉の「醍醐味」は肉の味そのものを楽しめるところです。煮物や炒めものだと肉だけの味ではないですから。
でも、他の人の焼肉の「醍醐味」はみんなでワイワイ楽しめるところや、タレが命という人もいます。このように「醍醐味」にも色々あるのです。
ところで「醍醐味」とは何でしょうか?
世界遺産の「醍醐寺」や「後醍醐天皇」などが頭に浮かんできますが、関連した美味しいことなのでしょうか?
この記事では「醍醐味」の意味や語源、英語の表現や類義語、使い方の例文をご紹介します。

「醍醐味」の意味と語源

「醍醐味」の意味

それでは「醍醐味」の意味をご紹介します。
まずは読み方ですが「醍醐味」は「だいごみ」と読みます。
「醍醐味」とは「物事の真の面白さ、楽しさ、美味の最上のもの」という意味です。
ひきつける力、魅力を表します。

「醍醐味」の語源

続いて「醍醐味」の語源をご紹介します。

「牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥を出し、生酥より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す、仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃経を出す」
と、仏教の経典「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」の中に記されています。

これは「牛から牛乳をしぼって、牛乳から煮詰めた練乳や、ヨーグルトのようなものを作り、煮詰めたものからバターを作って、バターを更に熟成させ、バターを完熟させたものが「醍醐」で仏教からでた涅槃経も同じことだ」と言っているのです。
仏教では「乳(にゅう)」「酪(らく)」「生酥(しょうそ)」「熟酥(じゅくそ)」「醍醐」のことを五味(ごみ)と読んでいます。
元の牛乳を加工し、熟成に熟成を重ねてできた液状のものが「醍醐」で最も美味しいものだというのです。レシピは現在見当たらないようで幻の味と言われています。
チーズではなく、バターのようなもので、しかし、バターよりあっさりしているのではないかということです。
仏教の教えというのは想像しがたい昔からあるのですから、乳製品が相当昔にあったのだということがうかがえますね。
「醍醐」という乳製品は仏教で「最高の美味」と経典に記されるほどのものです。
その「醍醐」の味が「醍醐味」とされ、食べ物の最上級に美味しい物や、物事の最高の面白さという意味になりました。
学者が「醍醐」の作り方を研究し、最高に美味しい「醍醐」という商品が世の中に出てくることを少し心待ちにしたいと思いました。

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「醍醐味」の英語表現と類義語

「醍醐味」の英語の表現

次に「醍醐味」は英語でどのように表現されているのかご紹介します。

  • the best part(いいところ、醍醐味)
  • real charm(醍醐味、本当の魅力)
  • powerful charm(醍醐味、強力な魅力)

【例文】

  • Grilled meat of the best part is it is cooked(焼肉の醍醐味は焼き加減だ)
  • This is the powerful charm of the movie(これこそ映画の醍醐味だ)
  • What is the powerful charm of the life?(人生の醍醐味は何ですか?)

「part(部分)」や「charm(ひきつける)」などが使われ「醍醐味」の「本当の魅力的な部分」を表現しています。

「醍醐味」の類義語

「醍醐味」と似た意味や構成を持つ言葉をご紹介します。

  • 旨味(うまみ)

「旨味」とは「食物のうまい味のこと、おいしさ、商売などで利益多いときの面白み」ということです。
「旨い話」などと使われますね。

 

「醍醐味」の使い方

最後に「醍醐味」の使い方を例文でご紹介します。

【例文】

  1. 「いつも魚が釣れるわけじゃない、たまに釣れることが釣りの醍醐味だよ」
  2. 「ドライブの醍醐味は、道に迷って新しい場所を発見することだ」
  3. 「恐怖!これこそが闇鍋の醍醐味だ」
  4. 「食べることは幸せなことで、人生の醍醐味のひとつだと思う」
  5. 「掃除の醍醐味は、綺麗にすることじゃない。綺麗にしようと思う気持ちだ」

「醍醐味」は味に関してだけではなく、生活全てにおいて使用できます。
「これが~の醍醐味」「醍醐味は~だ」などと使うことが多いですね。

 

「醍醐味」は人それぞれ違うこと

人によって「醍醐味」だと感じるところは異なります。
食べ物でも、物事でも、人によって「醍醐味」は様々です。
ですから、他の人が「これが、この醍醐味だ」と言って自分の感覚と違っていても、決してどちらが間違っているというわけではありません。むしろ違った考えを聞けてラッキーです。
他人の考える「醍醐味」からまた新しい発見ができるのです。
色々な感覚がある、それが人間の「醍醐味」なのではないでしょうか。

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